男女のジェンダー意識の差はどうすれば埋まるのか?【渡辺由佳里×治部れんげ】
『アメリカはいつも夢見ている』新刊記念トークイベント【渡辺由佳里×治部れんげ】①
■すぐに非難するのではなく、視点の違いをわかってもらう
治部:人間間違いはありますから、一つの線引きとして、悪かったと思っている人を完全に排除しないというものがありますよね。
渡辺:私にとっては大きな線引きがあって、ジェンダーの問題に関しては、性暴力などの具体的な被害を被った人がいる場合には、やっぱり加害者をそのまま受け入れるわけにはいきません。一方で、ソーシャルメディアなで多くの人から非難されている人については、彼らがそれほどまで叩かれるようなことを本当にしたのかどうかを、立ち止まって考えてみることは大切だと思います。
例えば、ハーヴィー・ワインスティーンみたいな人は悪いにきまっています。数え切れないぐらいの女性に性暴力を振るい、脅迫した犯罪者です。
この例と比べると、例えば「性的なジョークを言った」というのは、単にこれまで学ぶ機会がない人だったかもしれない。その間には、すごく大きな差があるわけですよね。
だから後者の人たちには、強い言葉で非難するのではなくて、「いや、そのジョークって全然面白くないですよ」と教える機会を作って、「変な人だと思われて、損ですよ」みたいなことを分かってもらえたほうがいいんじゃないかと考えています。
治部:日本は変化が遅いんですけれども、「これは言ってはいけないものである」という概念自体は少しずつ浸透してきていますね。
ただし、「なぜ言ってはいけないか」という理由までちゃんと理解していない人たちが、たまに飲み会の席で「いや、こういうこと言うと最近はだめだからね」みたいに言うのには、「だから、なぜ「最近はだめ」かを考えて欲しいんですけど……」と思ったりもします。
渡辺:そうですね。ですから、私もよく「どういうふうに分かってもらうのが一番いいのかな」ということを考えます。
ソーシャルメディアで頻繁に戦いが繰り広げられていて、それでも全然理解が進まないのは、お互いに見えている世界が異なるのに、その全然違う視点から怒鳴り合っているだけだからです。相手のことを分かろうという気持ちが全然ないわけで、それをずっと続けていても無意味ですよね。
そこで怒鳴っている人たちの意見を見てると、やっぱり「自分が攻撃されている」という気持ちが強いように思います。「自分の考え方」が攻撃されていることは、「自分自身」が攻撃されていて、存在が否定されているように感じているのでしょう。
ですから、視点を分かってもらうことが必要です。例えば特定のアニメがよく炎上して話題になるのですが、そのアニメから受ける感覚は、見る人のジェンダー、生育環境、体験によって全然違うわけですよね。
実際に痴漢や性被害にあったことがある女性は、そのアニメそのものではなく、その作品の背後にある男性の「女性観」や「性的視線」を即座に想像するわけです。そこで、「それらが当たり前のこととして受け入れられる社会で育つ少女は、性的な目で見られるし、痴漢にも遭うから迷惑だ。やめてほしい」という切実な思いを抱くのです。
でも、そのアニメのファンである男性読者たちには被害にあった怖い体験がないのでそういった女性の気持ちは想像できない。そこで、「これは単に娯楽じゃないか。それを抑圧するのは、表現の自由の抑圧だ」と消費者の視点で考えるわけです。そして、こういった作品を消費する自分たちが否定されている、攻撃されているように感じるんじゃないかな、と私は見ています。
ここの部分に大きな誤解があると思うのですが、性被害にあった女性たちであっても、ほとんどの人は「書くな」とか「読むな」と言っているわけじゃないんですよね。「自分の家で読んでいただくぶんには、いくらでもどうぞ」という感じでしょう。性的に露骨な作品に対する女性の嫌悪感ではないのです。英語圏でも女性向けのエロティカ(官能小説)はよく売れていますが、そういった作品と同様に、アニメに関しても作品を作ったり、読んだりすることを批判している女性はあまりいないと思います。
でも、このあたりをしっかり説明しようとする女性は徹底的に叩かれてしまう。だから、辛い思いをしたくない女性は黙ってしまう。そこで、いつまでも互いに理解しあえないわけですね。
「体験したら、わかるよ」と言うことをすべての人に体験してもらうことは不可能なので、そういう意味で、私は、相手の視点が分かるような小説を読んでもらったりドラマを観てもらうことを通じて、学んでもらうのが良いのではないかと思っています。
そのような視点を伝える意味で、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』(1985、斎藤英治による邦訳が1990発刊)はすごく影響力があるフィクションだったと思います。小説だけでかなりショックな本なんです。私は2017年のドラマ版は観てないんですけれども、エミー賞、ゴールデングローブ賞を複数受賞するなどドラマがすごく話題になったおかげで、あの年に本もナンバーワンになったんですよ。トランプが大統領になったことも影響しています。「産む道具」にされる」というものをすごく可視化した小説ですよね。
治部:そうですね。私はどちらも観ていて、結構前の作品なのに、かなり今日的な恐怖を描いているところが「やっぱりすごいな」と思いました。続編の『誓願』(2019、鴻巣友季子による邦訳は2020発行)も「あ、こういう角度から描いたか」と感心して読みました。
渡辺:続編の『誓願』には、「男性」側につくことで女性を加害するような女性も出てきて、しみじみ怖いと思います。あれは現実をそのまま反映している小説だと思います。
だからこそ、著者のマーガレット・アトウッドのようにいろいろなことを考えて、いろいろな発言している人たち自身が、現在のキャンセル・カルチャーに反対している理由は、やっぱり受け止めないといけない。
(私も著書を翻訳している)イブラム・X・ケンディが「アンチレイシスト」という言葉を流行らせて、時の人になりましたよね。
そんな彼自身も、「間違いは許されるべきなんだ」と言っています。自分が間違ったことをやったということをちゃんと認めて、子どもに対しても「自分も昔はそういう考え方をしていたよ」という話から入ったほうが、子どものほうも自分の過ちやミスを話しやすくなるとも書いています。
それは他の場面でも言えることだと思います。「あんたはだめだ」みたいな感じじゃなくて、「うーん……そういう考えはね、私もしたことがあるんだけれど、」というところから入って、「結局、いろいろ考えたときに「あ、違うな」って思うようになった」と伝えてみる。「どうしてそういうふうに思ったのかな?」と訊いてみて、まずは受け入れる。
私だって、ハーヴィー・ワインスティーンみたいに本当に悪気があってやっている人とか、「アジア人の女なんか死んでもいい」みたいなことを言う人がいたら、そういう考え方を分かってあげようという気持ちは全くないんですけれどね(笑)。そういう人たちではなく、単に生まれ育った環境とかが違うだけの人たちもいるんです。そういう人たちには話も聞いてみたりとか、歩み寄りみたいなのも必要かなという気もしています。
構成:甲斐荘秀生
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